家庭と学校が両輪になることのむずかしさ

青山学院初等部はえらく骨太の教育をする学校だとおもう。
精神力と体力が鍛え上げられ、相手や状況に合わせて行動できる人間。
自分事のように他人を思いやるやさしさを持ち、
人の為に行動することをいとわない人間。

初等部で過ごすとこんな魅力的な人間になる。
ほんとですよ。わたしがそうなので(笑)

ただ、これには「親がよけいなことをしない」という大前提がある。

一部の親たちは先生に過度に意見を言う。不要な手を出す。
たとえばこんなかんじ。

漢字学習ノートの宿題の出来がよくないから先生が手間をかけて繰り返し指導してくださっているのに「低学年の子どもに対して指導が細かすぎる。これからの時代文字なんて書かないんだから時代遅れ。」と子どもの前で文句を言う。何度も突き返される手間が面倒だから親がなぞって提出。
→人生において、指導者という立場の人生の大先輩のことばを素直に聞けない人間になる。

マラソンが嫌だと泣き言を言う子どもの背中をおす声かけをしたり、走る意味を粘り強く教えることをせず、「授業外なんだからやらなくていい」と参加させず、学校に苦情を入れる。
→やりたくないことはやらないくていいと勘違いする人間になる。

目の前の評価だけが気になり、テスト範囲や小テストの日程についてママ友と無駄に情報を共有しまくり把握して、親がかりで課題に取り組む。
毎日送迎をしてこどもの自立心を崩壊させる。
→自分の人生は自分でどうにかしなきゃ生きていけない。という強さと覚悟を持てない。

学校は「失敗させてください」「先回りしないでください」と繰り返し繰り返し口を酸っぱくして言っているのに、わすれものを届ける。
そのくせ、週1のお弁当は冷凍ばかりの手抜き。
→親が手本となり、ほんとうに必要なことはどんなことなのか教えられない。

有志のボランティア、学校行事のお手伝いの場で、もめる
→論外。

女性の先生に対して、「結婚していない」「子どもがいない」というカテゴリーでくくり、だからあの先生は話がわからないと、恥ずかしげもなく言う。自分がそっち側ならどういう言葉を返すのだろうか。
→子どもの価値観は親の価値観に影響される。よそ様のことをとやかく言う前に自分が満たされていればそれでよいのに。

一部とはいえ、もったいない。
初等部の教育を享受できる子どもに選ばれたのに、親の無知やエゴでその機会が失われていることに気づく。

入学説明会、保護者会、礼拝などすべての場面で先生方はリマインドしてくれる。
「失敗させてください」
「先回りして手を出さないでください」
「目をかけて手をかけないでください」

そんなメモすることある?っていうくらいメモメモして、先生の話に深く頷いていたのに、、、

初等部の6年間、子どもといっしょに自分も成長できた

謙虚に言える親でありたい



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